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アートに生きる - 若井映亮のブログ

『風たちぬ』備忘録

※凄く拙い文章と造詣の浅さです。読んでくれる人には先に謝罪。これは、私自身の頭の整理です。

 今年もいくつか映画を見ているけど、『風たちぬ』は僕に取って一番綺麗で一番泣けた。何故かは良くわからない。

 

 宮崎駿映画の多くは西洋と東洋の対比・歴史が描かれていると私の先生は言った。ここでの、西洋は科学や理性の先進国、東洋は途上国として考えられているが、宮崎駿は理性や科学への盲目的信頼に疑問を投げかける。東洋は科学的に進んだ西洋(理性)を必死に追い求めたが、至高のものとされた理性が生んだものは、戦争や環境問題だった。宮崎駿はその歴史を反省し、答えを探していたのだと思う。

 例えば、ラピュタの”西洋”は空と天空の城であり、”東洋”は大地である。シータが空からパズーの元へと降りた時、彼女は母から教えてもらった言葉を忘れている。(「母なる大地」の母を喪失した状態)そして、シータとパズーはパズーの父親の夢を追って、天空へ飛び立つ。まさに、必死に”西洋”を目指す”東洋”らしさを失った”東洋”のメタファーである。それを証明するように、天空の城は自然と調和したように見えるも、実は見事なまでに科学的である。今見ると、天空の城の機械達は、今や制御不可能となった原発に見えてくる。印象的なフィナーレは「僕たちは大地は失っては生きられないんだ。」と言って、大地に還って行くシーンである。千と千尋ナウシカも同様のテーマを持つ。ただ、これらは理性への盲目的信頼を反省を喚起するまでに留まっているように思う。

 今回の『風たちぬ』も日本(東洋)が西洋を追いかける図が描かれている。また、”飛行機”という理性の象徴が、殺戮兵器になってしまうことを描く。ただ、今回の作品が異彩を放つのは、”理性への盲目的信頼”という疑問への諦めに近い意見が堀越二郎を通じてしっかりと提示された点である。そのシーンは堀越二郎の夢の中。カプローニが堀越に「ピラミッドの無い世界とある世界、どっちが良いかね」と問う。その問いは、「理性が戦争を及ぼしたように、飛行機にも功罪がある。それでも君は飛行機を作りたいのか。それでも君は科学を支持するのかね?」と私には聞こえた。そして、対する堀越二郎の答えは、「美しい飛行機を作りたい」だった。素直でまっすぐ、悲痛だが爽やかな言葉である。これが宮崎駿の意見でもあると思うのは私だけだろうか。

 この映画を批判する人が多いらしい。「戦争当時の状況を歪曲している。」とでも言うのだろうか。私はそれらの意見に反論する。というより、そもそも、この映画は、戦争中やその前を忠実に描くことはしていない。現代を描いた宮崎駿ファンタジーだ。その証拠に、堀越二郎とその周りの人々は”今風”の考え方をしている。当時の人であれば、「日本が先進国だと思ったのか!?」なんてことを軍隊と繋がっている会社の重役は言わないのでは無いだろうか。宮崎駿堀越二郎に思想犯の容疑をかけることで、当時っぽく見せているが、これは一種の釈明だろう。

 私が一番しんみりとしたのは、菜穂子と堀越二郎の「一日一日を大切に生きる」という愛の姿である。また宮崎駿は、映画の一つのテーマである矛盾を恋愛に重ね、先述の言葉をパステルカラーに染めたように思う。人間の欲望や感情は複雑であるが、人間はとても弱い。そのためだろうか、人間は全てをシンプルにしようとする。私だったら、菜穂子みたいな女性がいたら全てを捧げてしまいそう。でも堀越二郎は、夢を追いかけ、タバコを吸い、菜穂子の延命を諦める。僕はそのような歯がゆい恋愛の裏に、人間のずるさと欲深さを感じるも、それ以上に、何故か美しさを覚え、涙してしまった。

 言葉にできない虹が、まだ湿っている心に掛かった、そんな気分である。